旅から帰ってきました。
やっと現実モードに戻り、今週から営業を再開いたしました。対応をお待ち頂いた皆様、応援して頂いた皆様、ご迷惑をおかけいたしました。皆さんから頂く「おかえりなさい。」という一言を頂く度に、最高の仲間と旅ができて、そして帰ってくる場所があり、待ってくれる人がいることに本当に幸せを感じる41歳の秋でございます。宮古島から始まり、多良間島、石垣島、黒島、西表島をセーリングカヤックで巡ってきました。宮古島〜多良間島、多良間島〜石垣島は夜走りました。沈む太陽に向かって西へ走り、夜は星とコンパスを頼りに次の島を目指しました。後ろから月が現れて、気づくと追い越され、月に導かれるように、次の島を目指しました。多良間島では、上陸したとたん、声をかけられ、シャワーを浴びさせてもらいました。石垣島では、本物のうみんちゅ達が、暖かく出迎えてくれ、快く港を使わせてくれました。「すみません。お世話になります。」「困った時はお互い様さあ。水も自由に使ったらいいよう。」一つ一つの海の男たちとのやり取りは、今でも思い出しても心が震えます。石垣島では出国にあたっての手続きで、入国管理局、税関、海上保安庁を訪れました。「あの〜、カヤックで台湾まで行きたいんですが〜。」「こんな時期に何を考えてるんだ。お前たちは!」と怒鳴られたら、すぐさま「ですよね〜。」と切り返そうとカヤックの上でも散々切り返しのタイミングを練習して、合同庁舎のドアを恐る恐る叩きました。すると意外にも訳の分からない外人軍団に対し、各局、協力的に対応して頂き、結局、海上保安庁のバックアップ(見守ってくれるという意味)のもと、台湾までわたっていいという許可(厳密にいうと許可ではないのですが)をもらい、西表島に渡って、そこで次のアタックのタイミングを待つことにしました。石垣島から黒島、西表島の間は、何ともいえない色のリーフ内の海を日中、帆走しました。風を受けながら、南国のゼリーのような海を滑っていくのは本当に気持ちのいいものです。12年ぶりの西表島は、印象として屋久島のような濃い自然のパワーを感じる島でした。セーリングキットを外し、パドリングで川をさかのぼって、ヘッドウォーターに遊びに行ったりしました。本物の緑に覆われた森の真水を全身に浴びて、心から完全に塩抜きが終わると、なんとなく今回の旅が終わったような感じになりました。フィリピン沖に停滞し続けていた台風21号の影響でミーニシ(北よりの秋の季節風)が強く吹き荒れ、後、10日間はは海を渡れる状況ではありませんでした。またここにくるまでに、マストが3回折れていました。宮古島から西表島に渡るまでに、我々はいろんな経験をアップデートしました。2007年に、九州〜屋久島、奄美〜沖縄、2010年に、沖縄から宮古島と渡ってきましたが、海は南に下るにつれ、パワフルになっていきました。そして、更に西表島から与那国島、台湾へのセクションは、今までのセクションの数倍の難易度があるということが、しっかりと理解出来ました。南から5km//hで流れれくる黒潮に10m/sの北風がぶつかった時、2mのうねりは4mになります。巨大な川の瀬のような状態の黒潮を横切り、120kmを航行することは不可能であることを理解しました。しかし装備を万全にし、北風ではなく、東よりの風が吹くピンポイントのタイミングを身計りさえすれば、行けるという気持ちを持てるようになりました。まだ旅に出たばかりの時は「ほんまにいけるんか?」と疑心暗鬼だったのが、「行ける。行きたい。」と思うようになりました。マストをしっかりと改良し、帆の大きさを再検討し、「また二年後に西表島からスタートして台湾に渡ろう」とダグ、ダニエル、エバンと約束し、西表島にて彼らに別れを告げました。「俺はもっと先に進みたかった。」と諦めた時のダグの悔しそうな表情は、今でも忘れられません。今回、台湾まで渡れませんでしたが、私は満足しました。それに楽しみが先に伸びたことがうれしいくらいです。西表島までの今までの旅は、正直、ダグの旅に付き合わせてもらっているという感じでした。しかし西表島〜台湾間は、ダグが行かなくても、自分は行きたいと思いました。2年後の10月に向けて、既にカウントダウンは始まっています。それまでに、より自分を進化させてカヤックでの国外逃亡の夢を果たしたいと思います。国境なんて、人間が定めた意味のあるのか無いのかも分からない線を渡り鳥のように超えて行けるカヤックは自由で素晴らしい乗り物です。Rockな人生を!(写真;左からダグ、ダニエル、エバン、シロー、西表島大原港にて、バジャウトリップあかちん撮影)