堀田貴之という男
(写真:2011年、堀田さん、仲村さんと三人で行った島根〜鳥取セーリングトリップ。K2のスターンシートでインディアンパドルでラダーする堀田さん。)
先日、堀田さんとその仲間達が奥琵琶湖に遊びにきてくれた。堀田さんとは20年以上の付き合いになる。A&F社に入社し、仕事もカヤックも駆け出し時代にお世話になった当時憧れだった大先輩の一人だ。知床や沖縄、奄美、八重山、色んなところを一緒に漕いで、色んなことを教えてもらった。最近、私も40代に突入し、出会った頃の堀田さんの年齢になった。そこでやたら当時堀田さんが話していたことがフラッシュバックしてきて困っている。これは「HNFS」(Hotta-san no_Neta_Flashback_Syndrome)と呼ばれ、アウトドア業界では30人に一人くらいの確率で深刻な被害を抱え、社会問題となっている。知る人ぞ知る「FUCK(不惑)40」も当時の堀田さんのネタだ。堀田さんは歩くし、漕ぐし、滑りもする。サッカーもするし、テニスもする。そしてなにより堀田さんはギターがうまい。歌も歌うし、そしていつもチャラチャラしている。堀田さんにすこし真面目な話をすると「大瀬、真面目な話をするなよ〜。」と茶化してくる。シーカヤックを始めて、1年目に堀田さんと北海道のカメラマンの佐藤雅彦さん、秀岳荘の鳥海さん、栃内さん夫婦に知床半島を廻るのシーカヤックの旅に連れていってもらった。シーカヤックを初めてすぐの経験だったので、知床でのパドリングの日々は強烈で「ビバ知床〜!」とずっと叫んでいた記憶がある。野糞も小学校以来で、堀田さんに「野糞ってどうやってするんですか?」とこっそり聞いて笑われたりもした。その旅のことは堀田さんが今は無きOUTDOOR誌にレポートした。その記事の記憶は私の中でも風化していたのだが、その雑誌を20年ぶりに見つけたので読んでみた。「ほ、ほ、堀田さん、真面目やんけ。」その雑誌を読みながら、一人そうつぶやいてしまった。変化球しか投げないと思っていた堀田さんが、全て直球しか投げていないのだった。私も今や出会った頃の堀田さんと同い年になった。真面目にカヤックの旅や環境問題に取り組んでいた人がチャラチャラしながら「真面目な話をするなよ〜」という気持ちもなんとなく理解出来る自分がいる。堀田さんが実は真面目なのか、不真面目なのかは未だに謎だが、ひとつ言える事は堀田さんは六十歳を前にしてもまだ漕ぎ、歩き、滑り続けているということだ。そして、こういう旅の自由さを満喫し、ギターを手にシャウトし続けているということだ。四十にして惑わず、五十にして天命をしり、六十にして耳順がう。耳順うようになった堀田さんの還暦には、どんなネタが飛び出すのか!?還暦北前セーリングジャーニーやりますか!