報道写真家、大瀬二郎写真展(1月13日〜28日 京都、東本願寺)
従兄弟の報道写真家、大瀬二郎(オオセジロウ)が、1月13日(水)〜28日(木)まで京都の東本願寺で写真展をやってます。宜しければ、是非。
http://www.higashihonganji.or.jp/…/koh…/PDF/201601_event.pdf
以下、大瀬二郎コメント(大谷大学HPより)
http://www.otani.ac.jp/…/nab3mq0000046…/nab3mq0000046d0i.pdf
コンゴの熱帯雨林で豪雨に打たれ、
サハラ砂漠の砂あらしに晒され、
イエメンの海岸に打ち寄せる波に揉まれ、
ヨルダンの病室で大やけどの苦痛に耐え続ける人々。
世界で過去5年間だけで15の紛争が勃・再発し、暴力や地球温暖化による食糧危機によって家を追われた人々
の数は近年急増している。
この人々の強制移動は近年拡大し、UNHCR(国連難民高等弁務官)によると、2014年で難民の数は5950
万人と過去最多。さらにその半数は子供。2013年は5120万人で、一年間に増えた人数としては最多。
急増は2011年に始まったシリア紛争が要因だが、この数は世界中で122人に一人が難民になったことを意味
する。
だがこの実情は、私達にとって理解し難い遠い国での出来事に過ぎないのだろうか?
グローバリゼーションが急速に進み既に定着し始めた今、紛争地から掘り出される希少金属や宝石、石油や熱
帯堅木などが、 携帯電話やファッションアクセサリー、 家具や車や火力発電などに使われ、私たちの消費社会
の日常生活に入り込み溶け込んでいる。 必ずと言っていいほど日本の車や工業製品に使われている鉱物、それ
は紛争地で掘り出されたかもしれない。私たちの平穏な社会には関係が無いと知らぬふりをしていても、自ら
が直接関わっているのは、否定できない事実。私たちは結果的に 天然資源の搾取が目的のNeocolonialist (新
植民地者)ではないのか?
同じく生を受け、 親を愛し子も愛す人々に、 道徳的な責任が私たちにはあるのではないのか? 平和に安全に
暮らす私たちは上級クラス、彼らは下級クラスと、世界を一つの社会として見てみると、私たちは差別社会に
生きているのではないのだろうか?
こういった疑問を問いかける機会を 私の写真が 生み出すことができることを願って、今まで写真を撮ってきま
した。
さらに、過酷な環境に置かれ将来もままならぬまま、歯を食いしばりささやかに生きている人たちの、残酷さ
と向き合いながらも、輝く美しさも、私の写真を通して見つけていただければ幸いです。